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タグ別アーカイブ: 有馬温泉

 

 

 

▼今回の帰省で有馬温泉に3泊したが、東京に帰る最後の朝も有馬温泉『金の湯』に入った。前夜一緒にタクシーでゲストハウスに辿り着いたシューヘー君ももちろん一緒である。彼は大阪府茨木市に住んでいるが、この日は神戸に出て「たもっちゃん」の店でお昼を食べてから別れようと云う事になった。有馬から県庁前駅までは神戸電鉄、北神急行を乗り継いで僅か30分の所要時間。900円の運賃が悩ましいけれど六甲山の下をトンネルで一直線に南下する北神急行の開通で北区の住民は本当に便利になった。

 

 

 

 

 

 

▼たもっちゃんの店『ときどき』は県庁前駅で降り、相楽園と神戸小学校の間の坂道を登り中山手通りの1本山側の通りを右折して100mほど先の浜側、ちょうど神港学園の向かいになる。ランチメニューは3種類。豪快なにぎり(1.5人前)12カン、見た目も楽しい籠盛弁当、酒のつまみに最適の海鮮ちらし丼いずれもお値段は1,050円と大変リーズナブル。にぎりは8カン800円と云うのもある。いずれのコースも全て赤出汁が付く。ネタがでかいし食材も新鮮だ。これで儲かるんかいなあ…と思わせる。

 

 

 

 

 

 

▼我々は一杯やるならこれ!とたもっちゃんが勧める海鮮ちらし丼をオーダー。冷酒をやりたいとお願いすると、よく冷えた評判の銘酒の一升瓶がテーブルに並んだ。獺祭(だっさい)がある、五凜(ごりん)がある!。なかなかいいラインナップだ。これもやりたいし、あれもやりたくなった。結局全種類を利き酒する事になった。2組の客がランチを済ませ、また別のご新規客一組が入って来た。たもっちゃんはその注文を捌いた後、いい気分になっていた我々に「てっさ」を出してくれた。自分は不器用やからよう薄う切られへんねん、と冗談を云いながら量感たっぷりの「てっさ」が皿に乗っている。

 

 

 

 

 

 

▼肝を和えてポン酢で食す。ぷりぷりの皮もたっぷり添えられている。贅沢だなあ…。目を瞠る、言葉に詰まる。写真を撮るのも忘れるほどだ(撮影に気付いた時には半分以上なくなっていた)。その後さらに、たもっちゃんは生の肝をたっぷりどんぶりに入れて出してくれた。これがまた格別美味い。とろんとした食感がなんとも云えず、ますます冷酒がすすむ。長く生きているといい事がある。東京に戻ってからの夕食用に穴子のにぎりを折りに詰めてもらう。勘定を済ませる。顧客満足度が非常に高い。美味いふぐを食べた後、シューヘー君とは地下鉄三宮で別れ、私は新神戸駅から幸せな気分で神戸を後にした。俺は良い友人を持っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

▼今回有馬に滞在して3度『金の湯』に入った。1回は夕方、2回は朝8時『金の湯』オープンに合わせて一番風呂を楽しんだ。若い頃なら考えられない事である。『銀の湯』前から歩き始めてすぐ左に極楽寺、右に念仏寺、その左に温泉寺(この3ヶ寺は境目も判らないくらい隣接して建っている)を見ながら急な坂道と階段を下ると3分ほどで到着する。一番風呂に入っているのは町内や近郊のお馴染みさんばかりである。それぞれ役割分担が決まっている様子で手馴れた手つきで傍らの棒を取って湯揉みを始める。今日はええ湯やなあ…だの、今日はちょっと熱いんちゃうか…と温泉談義が始まる。上がり湯とは別に、温泉の浴槽は2つに仕切られている。熱いほうのお湯は45℃くらいありそうである。私も熱いお湯が好きなほうであるがこれに長く入っているのはちょっときつい。

 

 

 

 

▼有馬温泉の泉源はホテル・旅館の自家泉源を含めると40に及ぶそうである。ラジウムや炭酸泉の湧出温度は20℃前後であるが、含鉄・ナトリウム・塩化物強塩高温泉(金泉)は98.2℃や96.8℃となり、軒並み90℃を越える。さすがは江戸期の温泉番付で最高位にランクされた、文字通り天下無双の名湯である。有馬温泉の開湯の歴史は古く、昔から皇族・貴族・文化人らに愛されてきた。日本最古泉とも言われる。631年に舒明天皇が約 3ヶ月滞在したことが日本書紀に記され、清少納言は枕草子で有馬温泉に言及し、豊臣秀吉は有馬を愛し何度も訪れ、温泉や周辺の改修を行い茶会まで開いた。当時有馬に避暑に来るのは今の軽井沢以上のステータスだったようだ。

 

 

 

 

▼朝風呂の帰り道、灯台下暗しではいけないと私は極楽寺脇の『太閤の湯殿館』へ入場料200円を払って始めて見学した。極楽寺は浄土宗の寺で本尊は阿弥陀如来。593年、聖徳太子によって創建されたのが始まりとされる。有馬大洪水で被災。1191年仁西上人による有馬復興に伴い現在の場所に移された。1773年には火災で焼失し、現在の堂宇は1782年に再建された。このときに再建された庫裏(台所)は阪神淡路大震災で半壊したが、そのために修築中の基礎の下から伝説であった豊臣秀吉が築造した「湯山御殿」の遺構の一部が発見されることになった。遺構は茶器や瓦などの数多くの出土品とともに神戸市文化財史跡の指定を受け、遺構の上に建設された「神戸市立太閤の湯殿館」として一般公開されている。

 

 

 

 

▼有馬温泉の基礎を開いたのが奈良時代の名僧行基(ぎょうき)。奈良時代の人間ブルドーザーであったらしい。荒廃しきっていた有馬温泉の再興を果したのが鎌倉時代の名僧仁西(にんさい)。温泉の復活とともに温泉寺を改修し、12の宿坊を営んだ。その後、大火に見舞われ焦土と化した有馬を再興したのが豊臣秀吉(豊太閤)。有馬を愛した秀吉はさまざまな援助を惜しまず、大規模な改修工事も実行した。今も親しみをこめて太閤(たいこう)さんと呼ばれている。この3人が有馬の『三恩人』と云われている。私の小中学校の同級生に秀吉と云う名前の友人がいた。あだ名が『たいこさん』。かなりユニークな男であった。その後の私の人生でも彼以上にユニークな男に出会った記憶はない。今も有馬の旅館に勤めていると聞いた。彼なりの理由があるのだろうが同窓会にも顔を出さない。私はユニークな友人を持っている。

 

 

 

 

 

 

 

▼今回の帰省で郷里・有馬に3泊したが、奈良時代既に開湯していた日本最古の有馬温泉には3度入った。有馬温泉には神戸市営の温泉入浴施設が2つある。泉質による色の特徴からそれぞれ『金の湯』、『銀の湯』と云う名前が付けられている。狭い小さな街の中心部にあるのが『金の湯』。塩分と鉄分を多く含み褐色を呈する含鉄塩化物泉。湧出口では無色透明だが、空気に触れると一瞬にして濃い鉄さび色に変化する。うっかりタオルを浸けると赤く染まるし、よくふき取ってから下着を着ないと下着にも色がつく。これは洗っても落ちない。

 

 

 

 

▼『金の湯』から急な階段と坂道を約50m登り、距離にして150mほどの寺町の外れに『銀の湯』がある。こちらは温泉の湧出場所が異なり、、ラジウムを多く含む放射能泉、炭酸を多く含む炭酸水素塩泉のブレンド。透明な温泉であるから「銀泉(ぎんせん)」と呼ばれている。私が滞在したゲストハウスはこの『銀の湯』前のレストラン内で『銀の湯』まで10mも歩かない。ほぼ内湯の感覚だ。しかし近いと云えども有馬の湯といえばやはり金の湯だろうと思うからすぐ前の『銀の湯』を遣り過ごして3度とも『金の湯』に出かけた。『銀の湯』は開館が1時間遅いのも理由の一つ。

 

 

 

 

▼初日の夕方はのんびりと『金の湯』につかり一緒にその夜お好み焼きを食べに行く予定のシューヘー君の到着を待ち、翌日はプレー後ゴルフ場の大浴場に入り中学時代の同窓会に備えた。その翌日はゆっくり『金の湯』で朝風呂を楽しみ宝塚で暮らす妹を表敬訪問した後長田のパーティーに出かけ深夜、結局シューヘー君と一緒にタクシーで有馬へ帰還。最後の朝もシューヘー君、家人と共に有馬最後の朝風呂。有馬の湯を満喫した。

 

 

 

 

▼私が子供の頃、有馬ではお風呂のある家庭は少なかったと思う。したがってしかるべき時間になると子供たちはこの『金の湯』の前身である豪壮な桃山造りの本格木造3階建ての『温泉会館』に集結して下足箱の鍵の番号の取り合いをやった。あの頃はプロ野球くらいしか子供たちの楽しみはなかった。巨人ファンなら3番(長嶋)、1番(王)、阪神ファンなら11番(村山)、23番(吉田)が人気。しかし私は16番(名手三宅秀史)を至上の番号と思っていた。お風呂に入ることを私は「温泉に行く」と疑いもなく云っていたから、その後東京で暮らすようになって「銭湯へ行く」と云う言い方に長く違和感を覚えたもんだった。文化と云うものは末端に宿る。しみじみそう思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

▼天地会チャリティーゴルフに出るようになって以来、私の帰省に合わせて中学の同級生が何人か集まってシンちゃんの経営する日本一美味いお好み焼き屋『笑』(えみ)でグダグダと与太話をするようになった。その後会場は同級生のひろし君が岡場駅前で経営する『輪の屋』になったり、昨年はたもっちゃんが県庁の山手、神港学園正門前で経営する寿司割烹『ときどき』になったりしている。

 

 

 

 

▼今年の会場は岡場駅に近い『Nuts珈琲店』。常連のひろし君が18:00で閉店するこの店を閉店後貸切でセットしてくれた。オーナーでもあるこの店のマスターは鹿児島出身の沖縄育ち。彼の奥様は20数歳年下のうら若い女性でこの夜も甲斐甲斐しく我々の世話を焼いてくれた。鹿児島訛りが残るマスターが宴会の料理を用意してくれたので、さつま揚げがドーンと出され主役のような存在になった。

 

 

 

 

▼当時のマドンナ女性2名(ひさよちゃん・さとちゃん)を含め、この夜は10名のミニ同窓会的新年会になった。今回から生真面目が背広を着てそのまま年を重ねたようなカイチ君が幹事役を務めてくれている。名簿の作り直し、連絡係と八面六臂の大活躍だ。真面目なんだよなあ、昔から。幹事はまさに適役と感心させられる。マスターが鹿児島出身であるから焼酎には一家言持っておられるようである。喫茶店とは思えないほどの名品・逸品焼酎がこの夜次から次に出された。セレクトされたそのラインナップが素晴らしかった。

 

 

 

 

▼怪しい僧侶のような風貌をした”でっちん”がこれをロックであおり続けたから、宴の終盤に今まで見たことがないほどの酩酊状態になり、つぶれた。ここで新年会は予定の時間となり、宴たけなわではあったがお開きになった。私も美味い芋焼酎のお湯割りを少々飲み過ぎた。今回は2次会もこれでは無理と判断し解散。お酒を一滴も飲まないテイ君がでっちんを送り、ゴルフ帰りのたもっちゃんは翌日宴会の予約があり朝の仕入れがあるからとこの席ではお酒を控え車で帰って行った。

 

 

 

 

▼1年に1度の事であるから、私としてはもう少し盛り上がりたいところであったが盟友でっちんがあの状態では致し方ない。お酒を飲まないシンちゃんに有馬まで送ってもらった。シンちゃんの自宅も有馬で、ちょっと小腹が空いたから近くの和食の店でお茶漬けでもと自宅に近い小料理屋に立ち寄ったが、定休日なのかお店の灯が消えていた。明日も高校ラグビー部の仲間と遅くまで飲む事になる。ちょっと休めと云うことか。かくしてこの夜は尻すぼみのまま終わった。

 

 

 

 

 

▼1月17日から郷里・有馬温泉に帰省した。18日に開催される恒例の阪神タイガース天地会のチャリティーゴルフコンペに参加するためである。毎年このコンペの日程に合わせて、中学のミニ同窓会が開かれる。また今回は、もう一つやはり私のこの帰省に合わせて、19日夜にもパーティーが計画された。高校ラグビー部同級生の村井雅清君が先日、神戸凮月堂が創設した神戸市民をびっくりさせた人に贈られる『ロドニー賞』を受賞したので、その祝賀会をラグビー部の連中でやろうという話がまとまった。

 

 

▼午後遅く有馬に到着し、長兄がこの冬新装オープンしたレストラン・バー『グリル六甲』(2階から上は未だ改装工事中である)内のゲストハウスに3泊した。このところコンペで一緒にラウンドするパートナーは高校の同級生で保険・薬膳塩・光る絵画・健康豆腐・生理用品(近年これは営業品目から外れた)を扱う歩く総合商社的営業マンのシューヘー君、小学校・中学校の同級生で西宮北インター近くで日本一美味いお好み焼き『笑(えみ)』を経営するシンちゃん、同じく小中学校の同級生で2年前40年ぶりに再会を果した兵庫県庁上で寿司割烹『ときどき』を経営するタモッちゃんの3人。

 

 

▼従ってコンペの前夜は、毎度『笑』でお好み焼きを食べながらまとまりのない与太話になる。今回はシューヘー君も私と一緒にゲストハウスに泊まったから、家人・長兄夫婦総勢5人で『笑』の売れ筋メニューをあれもこれもと注文した。鉄板の内側に立って、次から次に入ってくる注文を手際よく焼き上げるいつものベテラン職人があいにくこの日はお休みを取っていた。そこでシンちゃんが、久し振りにその腕前を披露した。久しく彼が調理する場面を見ていなかったが、実に手際がいい。その技は職人と云うよりは名人と呼びたいほどである。

 

 

▼スピード感に溢れた正確無比なコテさばきは、まさにゴッド・ハンドと呼ぶにふさわしく、見ていてうっとりするほどだ。アルマイトの容器にお好み焼きの具材が入っていて、お客がスプーンで生地と掻き混ぜて自分で焼かせるお好み焼き屋が東京には多いように思う。関西出身者はトッピングの具だけ取り出して、広げた生地の上に乗せる輩がいる。関西人のこだわりだね、と東京人は言うが素人に焼かせる店と、こうした名人が焼くお店で出されるお好み焼きは違う食べ物だと考えた方が正しい。

 

▼絶妙の時間のかけ方、微妙な火の通し方、押し方、蒸し方、ひっくり返し方それぞれに長い経験が要求される。美味いお好み焼きは生地だけで美味い。”日本一美味いお好み焼き屋”という私の評価はこの日も変わらなかった。こうなるとお好み焼きも文化であり、芸術である。この店でいつも感心することがある。どんなにゴルフその他で朝が早くてもシンちゃんは必ず一旦お店に立ち寄って、シャッターを上げたり、倉庫を覗いたり開店準備を自分でする事。オーダーストップになると大きな鉄板全てを徹底してぴかぴかに磨き上げる事。冷蔵庫の庫内を時間をかけてぴかぴかに拭き上げる事。ゴルフに出かける時も、閉店間際で有馬まで送ってもらう時も欠かさずやっている。こうでなければお店は繁盛しない。

 

 

▼AKBのメンバーと見まごう程のこの店の看板娘・りえちゃんは、ネットで検索中にたまたまこのブログに出くわしたそうだ。以来、韓流スターばりのイケメン、弟のリョウタ君ともどもこのブログの熱心な読者であるそうだ。(うれしいね!)ついつい力が入って記事が長くなってしまった。反省!

 

 

 

▼夏休みのオフィシャルイベント第3弾は神戸に帰って、昨年40年ぶりに再会した親友K君(たもっちゃん)と今年1月以来となるゴルフをやる事。1月の阪神タイガースOB会恒例のチャリティーゴルフ(兵庫県・タイガースゴルフクラブ)では大恥をかいたのでその雪辱を果すのが目的。私はヘボゴルファーを自認しているが、それでもこの時のスコアーにはいまだ納得がいかない。そのコンペに同組でラウンドした友人A君、F君にも声をかけたがF君は法事、A君は今年亡くなったお父さんの新盆のためNG。プレーするのを決めたのも直前の事であるから無理もない。

 

 

 

▼安曇野から郷里・神戸市の有馬温泉までの距離は約420km。一人だけのドライブだから休み休みゆっくり走った。午前中に安曇野を発ち、長野道・中央道・名神道・中国道と乗り継ぎ、さして大きな渋滞もなく最寄の西宮北インターで高速を降りたのが午後3時過ぎ。インター近くのドラッグストアーで翌日のゴルフに備えテーピング用テープ、こむら返り・筋肉の痙攣に効くと云う「コムレケア」なる錠剤を買った。O夫人お勧めの梅干も買いたかったがこの店にはなかった。やっぱり梅干は食品なんだな。

 

 

 

▼今回は有馬に住む私の長兄が「銀の湯」前に建築中(1部屋だけが完成していた)のゲストハウスに3泊した。この時期の有馬温泉では町内を流れる有馬川の河原に川座敷をしつらえいろいろなイベントが行われる。この夜は大阪音大の学生バンドの演奏と、芸妓衆の踊りが披露されていた。この会場で私がかつて家庭教師をしていたT君に出会った。私は彼の2人の姉の家庭教師もし無事志望校に行かせる事ができたが、私の力不足のため彼だけ受験に失敗した。T君は現在食品会社の社長。このイベントに協賛しお店を出店していたので色々気を使ってくれた。(有馬温泉・川座敷の画像

 

 

 

▼兵庫県三田市の奥、川西市・宝塚市・篠山市に囲まれた猪名川町は川辺郡に存在する唯一の町。私も余り馴染みがない。大阪から60分、神戸から90分。縦横に張り巡らされたあのあたりの高速道路網からでも最も遠い、不便な町ではないだろうか。その町の山の高台に夏でも涼しいゴルフ場があるとたもっちゃんは云う。チェリーゴルフクラブ猪名川コースがそれで、誕生日割引やリピーター割引を使えば2サムのプレーでも信じられないほどプレー代が安いと云う。俄かには信じがたいが一時はシングルを目指した地元の上級者の言うことであるからこちらも信じるしかない。

 

 

 

▼山の上のコースに到着してみると実際涼しい。コースから見える山の頂に天文台の建物が見える。星がよく見えて天体観測に適した場所なんだろうか。木・金・土・日の午後1時30分から9時30分まで営業しているそうだ。役所仕事とは思えないなんともユニークな営業体制である。たもっちゃんと2サム・さしの勝負は前半は惨敗。しかし後半は7ホール終えて私は3ボギー4パー、14・15・16番ホールは3連続パーオンのパーで3オーバー。たもっちゃんがここで囁いた。「残り2ホールパーなら30台やなあ、凄いなあ…」。これが悪魔のささやきとなる。

 

 

 

▼この一言に撹乱されて、私は未だ未経験の30台に向かって力みに力みダブルボギーを重ねた。上がってみれば43。雪辱を果す事はまたの機会となったが、実力(?)の片鱗は見せたかもしれない。山の上だけにフェアウェイは狭く、よく手入れされたフカフカの大きなベントのワングリーンは複雑なアンジュレーションに富んだこのコースでこのスコアーなら自分を褒めてやりたい。2サムのカートプレー、昼食&昼食時ワンドリンクが付いて一人5,900円也。たもっちゃんの誕生日割引が私にも適用された。ゴルフは兵庫県に限る。

 

 

 

 
   

『小宿とうじ』の客室。観光案内所で鍵を受け取れば後は誰とも会わない

『小宿とうじ』客室からの有馬の眺め

『小宿とうじ』の前は温泉寺、境内の鐘楼

『笑』店内の様子、1階右手と2階に座敷がある

壁に掛けられた豊富なメニュー

ポン酢で食するこの店だけの名前と味

お酒のつまみになるメニューが豊富

美人の看板娘

シャイでイケ面の看板息子

大将はゴルフ前、お店に立ち寄りちょっと一仕事する

 

 

 

 

▼今年も1985年ムッシュ吉田監督の下、阪神タイガースがバース・掛布・岡田選手らの活躍で華々しく優勝した当時の選手、監督、コーチ、球団関係者らで構成される『天地会』のチャリティーコンペに参加した。会場はこのところ毎回兵庫県加東市のタイガースゴルフクラブ。従って私は毎回コンペ前日は一緒にプレーする小中学校の同級生A君の経営する日本一美味い(と私は確信を持って断言したい)お好み焼き屋『笑(えみ)』で一杯飲って、私の生まれ育った故郷・有馬温泉に泊まるというのがいつものパターン。

▼『笑』はもともと有馬温泉の杖捨橋(杖を頼りに有馬を訪れた湯治客が温泉の効あって本復し帰路町の高台にあるこの橋で杖を捨てた事からこの名がついたという、昔の人はうまいネーミングをするねえ!)たもとにあったが、店舗拡大で有馬から車で10分とかからない西宮・山口町にお店を出し、数年たって有馬の店を閉めた。有馬温泉は奥まった小さな町で、昨今の平日の夜は観光客も少なく閑古鳥が泣くような状態であるからこの判断は的確であったと今になって思われる。中国縦貫道西宮北インターから2分かからない場所である。にっこり笑って快く送迎もやってくれるので有馬周辺に泊まった際はお勧めしたい。

 ▼今回の天地会は、10月の小学校の同窓会で約40年ぶりに再会を果たしたK君(県庁付近で寿司屋を経営)、大怪我の後6ヶ月に及ぶリハビリ後1年ぶりに復帰を果たした高校の同級・F君、『笑』の大将A君とでラウンドする。F君と私は前泊に有馬温泉旅館協同組合が運営する『小宿とうじ』を手配してもらった。有馬の工房の2階3階部分を客室として提供し、洗面所付の和室に畳ベッドが2つ、食事なし、風呂なし、アウトトイレ、館内に一人もスタッフを置いていないが市営温泉『金の湯』『銀の湯』は部屋の鍵を見せれば入り放題。2人で利用すれば一人4,500円。他地区に比べ料金の高い有馬にあって安いビジネスホテル並みのコストパフォーマンスを誇る。

▼同宿のF君と小宿とうじで合流したのが午後6時半。小学校の同級生・畳屋のM君も駆け付けてくれて3人がA君運転の送迎車に乗り込んだ。有馬の町を下りきったところで私の兄から電話が入り、状況を説明すると自分たち夫婦も一緒するというので300mほどUターン。軽自動車は4人と荷物2人を満載して『笑』に到着。早速お酒のつまみになるような『笑』自慢の鉄板焼きメニューをおまかせで出してもらった。

▼元祖すじこんの店である。「すじこん」は商標登録してあるそうであるから「すじとこんにゃく」というメニューが他店にあっても「すじこん」はこの店でしか食べられない。ズリニラ、キモニラ、ヤマイモステーキ、カキバター、ギンペイ焼き、ねぎ薄焼き、焼きそば、お好み焼きと次から次へと出てくる。店特製のポン酢でいただくものが多いから食も進む。おまけに私が以前飲み残した(1年前かも知れない)芋焼酎も蒸発もしないで出てくる。美味い料理に話も弾み、酒量もどんどん上がる。帰省の際にこの店だけは外せない。

▼お好み焼きは職人(焼き師とでも呼びたい)が焼いたものをコテでいただくのが王道。関東に良くあるアルミの食器に玉子も具も一緒くたにしてスプーンでかき混ぜ鉄板に拡げるのは邪道。関西出身者にはこだわりがあって、豚肉やイカその他食材を食器から取り出して生地だけを混ぜる輩も見かけるが大差ない。たかがお好み焼きといえども極めれば奥は深い。押し方・突き方・返し方そのいずれにも職人の年季とスキルが生きてくる。マヨネーズやケチャップを網の目状にたっぷりかけてあるのは別の食べ物と私は思うことにしている。ソースに青海苔が絶妙のマッチング。必要にして十分である。Simple Is The Best!

▼この日はお店にA君の10歳年下の美人奥さん、お店の看板娘(現在はスキルアップのために専門学校に通っているそうだ)、イケ面の看板息子もいて一気に挨拶が片付いた。看板娘のRちゃんは小学生だった10年ほど前、私のメル友だったが美しいお嬢さんに成長した。最近何かのカテゴリーか投稿タグを検索していてこのブログに接し、これは間違いなくISさんのブログだと確信したという。私は画像にサングラスをかけたり、イニシァルで名前を表記しているが、知る人が見れば一目瞭然である。いい加減な事は書けない。心して書かないといけないと痛感させられた。

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▼ムッシュこと吉田義男監督の下、今も伝説に残る巨人・槙原投手からバース、掛布、岡田のバックスクリーンへの3連続ホームラン等で派手な勝利を重ね、久々の優勝を果たしたのが1985年。これが国。3年後チームはセリーグ最下位に撃沈。吉田監督は球団を去る。これが獄。このときの監督、コーチ、選手、球団関係者らで組織されたのが天地会。この会が主催するチャリティーコンペが毎年1月開催される。今年は1月22日兵庫県加東市のタイガースゴルフクラブにて175名の参加者で開催された。

▼私は前日郷里の神戸・有馬温泉に泊まり、小中、高校の同級生3人で今年も参加した。さすがに有馬温泉は前日から猛烈に冷え込み、積雪もあったが、車で30分のゴルフ場には雪もなく無風、キャディーさんにも恵まれて快適にプレーを楽しんだ。前年準優勝したA君を含め、3人とも凡庸な成績に終わった。 残念。

▼このA君は中国道西宮北インターの近くで評判のお好み焼き『笑(えみ)』を経営。元祖スジコン(スジ肉とこんにゃくを鉄板で焼き、酢醤油で食べる。お酒のつまみとして絶品である。やみつきになる。私は帰省する度必ず食べる)の店で、『スジコン』の名称は彼の登録商標である。この商標を売って欲しいと名だたる食品メーカーから度々オファーがあったそうだが彼は決して売らなかった。芦屋の高級スーパー「イカリ」でもこの店の「スジコン」を扱っていた。「スジとこんにゃく」を始め、類似した名称の商品はあるが、「スジコン」はこの店にしかない。ちなみのこの店のねぎ焼きもお勧めの一品である。 

 

 

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▼コンペ表彰式後は、恒例のこれまた中学の同級生が神戸電鉄岡場駅前で経営する和食処『輪の屋』にて8人でミニ同窓会。長年、澤の鶴酒造に勤めてからこの道に転じたオーナーのS君はお酒への造詣も深く、珍しい芋焼酎を次々提供してくれた。あんな事もあった、こんな事もあったと昔話にひとしきり花が咲いた。 しばし全員が中学生当時のいい笑顔に戻っていた。

 

 

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▼7月29日、昨年急逝した高校時代の友人T.Tを偲ぶ会が催され、私が発起人であったので半年振りにふるさと神戸に帰った。鵯越(ひよどりごえ)墓苑への墓参はT.Tのお母さん、妹さんを入れて6名。改めて好漢T.Tに別れを告げた。

▼昨年、彼からの年賀状には「心を病んで30数年になります」とあった。その年の7月24日、社会復帰への助走期間中に急性心不全で帰らぬ人となった。彼の東京での浪人時代によく議論し、夢を語り合い、たまには酒を飲んだりした。不器用で直情径行、世辞や追従、愛想とも無縁の男であった。もちろん男同士の付き合いであったから、晴れの日も雨の日も終始恬淡とした交友であった。阪神淡路大震災が彼の心にあたえた衝撃は小さなものではなかったと思う。『破顔一笑』という言葉が似合う男だった。合掌・・・

▼須磨・妙法寺で食事会、男たちは2次会、3次会と流れ、足元が覚束なくなった一人は靴を履く際に転倒し頭を打つほど痛飲・酩酊した。みんな酔っ払ってしまいたかったのだと私は思う。その夜は私が生まれ育った有馬温泉に泊まり、翌朝、金の湯に入り東京に戻った。

▼7月31日夕方、会議を終えた私にラグビー部の2年後輩・K君が急性心不全で昨日亡くなったという連絡が入った。ほんの1ヶ月前「今度ラグビー部OB会(武陽ラガークラブhttp://www.buyou-rugger.jp/index.php)の会長を拝命することになりましたのでよろしく」との電話をもらったばかりであった。2年後輩であるから、よくシゴキ、よく腰を揉ませたりしたが、明るく愉快かつ豪快な男であった。夜毎、三宮のネオン街で明滅していたようである。

▼神戸クラブやジュニアラグビースクールその他ラグビー協会関係の行事にも積極的に取り組んでいたようであるから壮大な葬儀となった。通夜の後、K君の同期としんみり神戸駅前で飲み、私は同席した同級のチームメイト(姫路城のすぐ傍に住んでいる)宅に泊めてもらい、翌日は料理学校の先生であった奥さんに家業のお弁当まで持たされて東京に戻った。身近な人に次々と事が起こる。そういう年齢になったのか・・・

 ポツリポツリと死んでゆく みんな別れてしまうのだ・・・(中也だったかなか?)

 (写真は有馬温泉『金の湯』前の足湯)

有馬温泉の画像は『フォトアルバム』で公開中

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